

2025年06月 演奏と指導の原点 ピアノを始めて〜指導に至るまで
演奏と指導の原点 ピアノを始めて〜指導に至るまで
HPが新しくなるのを機に、どうしてピアノを教えているのか言葉にしてみようと思います。
私は3歳で音楽教室に通い始め、幼稚園児のころは漠然と「ピアニストになりたい」と夢見ていました。
もちろん、その頃から猛練習に励んでいたわけではありません。練習がどれくらい必要なのかも分からず、
「大きくなれば自然と上手になる」と漠然と思っていたのでしょう。
しかし、私の心の中では、その夢がいつの間にか不動の目標となっていました。
人生のどんなタイミングでも、一番の夢が一度も変わらなかったのは、
今でも不思議な感覚として覚えています。中学生になり、音楽高校への進学にも魅力を感じていましたが、
両親の「大学に進む時に気持ちが変わっていなかったら音楽の道に進んでいいよ」という言葉もあり、
普通科高校へ進学することに。高校受験の頃には、数ヶ月ピアノから離れた時期もありました。
ところが、この休止期間こそが、私の情熱に再び火をつけました。 ピアノへの想いは膨らむばかり。
進学校だったため、高校1年生の夏休みには文理選択を迫られましたが、ここで迷うことなく私の進路は確定。
それからは、音大受験に向けて音楽教室の先生のご紹介で個人の先生にご指導いただくことになり、
生活はピアノ中心に一変しました。
中学・高校と続けていた吹奏楽部を辞めざるを得ず、毎日学校が終わってから夜10時までピアノを練習し、
夜中の2時くらいまでかかって宿題をこなす日々。進学校に通いながら音大受験の勉強を進めるのは大変でしたが、
今振り返ると、この経験があったからこそ、ピアノへの強い覚悟と集中力が培われたと感じています。
大学に入学し、一日中音楽に没頭できる環境は、私にとって最高の幸せでした。
何時間でもピアノに向かえる喜びにワクワクし、
師事する先生が演奏されるピアノコンチェルト(ピアノ協奏曲)を目の当たりにした時は、
その迫力と美しさに大きな衝撃を受け、「私もいつかこんな舞台に立ちたい」と強く思いました。
また、同級生や先輩方の中には素晴らしい才能を持つ方がたくさんいらっしゃり、
日々レッスンを受けるうちに「4年間では学びきれない」と感じ、大学院進学を希望するようになりました。
大学院では、ピアノの実技試験は30〜45分と大きなプログラムになり、論文の執筆も必須でした。
本を海外からも取り寄せて沢山読みました。
楽譜や音楽から感じるものを明確な言葉で表現する作業は非常に困難でしたが、
この経験が私の音楽観を深く広げてくれました。
さらに、レッスンでは先生方が一人の音楽家として接してくださる感覚があり、
「自分の音楽を奏でてほしい」という、現在の私の指導方針の軸が生まれました。
この頃には、すでに個人レッスンの指導も始めており、様々な子どもたちに出会うことができました。
「専門的に音楽を学びたい」と明確な目標を持つ生徒さんを指導することは、私にとって何よりの喜びです。
しかし、そうした「音楽が大好きな子」が生まれる背景には、彼らをそう思わせるような先生や、
心に残る経験があったからこそだと、自身の経験を通して強く感じるようになりました。
だからこそ、私は小さな子どもたちにも音楽の楽しさを伝えたい。自分自身の演奏や指導を通して、
音楽を心から愛する子どもたちを育て、未来の音楽仲間を増やしたいと強く願うようになりました。
それが、今の私の活動、そして指導者としての揺るぎない原点につながっています。
卒業してからも、自身のレッスンに通い続けたり、美術館に行ったり、
知らない分野の勉強をしたり…時には身体の仕組みから理解したいと、スポーツ選手の食べ物を調べたり、
解剖学や筋肉の勉強にまで踏み込みました(たまにレッスンで筋肉のアプリを見せていますね…笑)。
学ぶことは次から次へと尽きることがなく、「一生勉強だな~」と思うばかりです。
でも、どんな学びも最終的には音楽に繋がってくると信じています。
そして、「人生経験がそのまま音楽になる」と尊敬する方々からも言葉をもらってきました。
これからも、尽きることのない好奇心と学びの姿勢を大切にしていろいろな音色につなげていけたら、と思っています。
